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愛ある放置



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昨日の記事、運より縁(のち、エン!?)
に続きやはりKan.さんネタ。


昨年の暮れに小淵沢リトリートの仲間で
Kan.さんを囲み忘年会をした時に、
私はちょっとした相談をしたのです。



「知り合いが会社に行けない状態が
続いていて、どうしたもんでしょうか」




するとKan.さん、たったひと言






『ほっときましょ』





Wha~~~~~~ッT??



もちろん、Kan.さんは私の中では
愛の人です。愛と言っても「慈愛」
だから、冷たく突き放している
わけでは決して無いのです・・


曰く。

現代人はとかく人からの承認を
得たがる。でもその承認は他者との
比較において得られるもので、
内なる自然との共鳴、自らの承認では
ない。キリが無いんですよ。

だから、そこに意識を注げば注ぐほど
承認欲求は高まる。

そんなときには愛を持ってほっとく

無関心ではなく、
関心はあるけど、干渉はしない。



これは、野生動物の母の愛だな、
と思いました。

私たちは、野生から遠く離れて
しまっています。

なので、つい手をだしてしまいがち。
なにも、母と子に限ったことでなく
他者に対してもその傾向があります。

その方が楽だからね。


でも、ぐっとこらえて相手ができる
のを待つ。

それができるようになれば、
お互いに成長できるのでしょうね。


ま、そんなこと言っても
言うはヤスシ、行うはカタシ・・・



ですケドね~~~(^▽^;)




愛ある放置・・・
私も意識的に取り入れてみましょ。











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by pikabo | 2015-01-25 07:19 | ノート

心の茶の間でみかんを食べる


ここ1週間ばかりで何度か
言われました

「遠藤さんは垣根がないよね」
「初対面でもずっと昔から
知っているみたいだよね」

思わず答えたのが
「相手の『心の茶の間』に
ちゃっかり座ってみかんでも
食べているような感覚なんだよね」


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そう、だから決して土足では
ないのですよ(靴下は汚れてるかもですが)!

そして、相手がお留守なら、
茶の間にも上がれないわけで。
いや、留守でも場合によっては
上がり込んでるか・・・(^▽^;)

親しい友人からは「図々しい」
「臆面がない」とも言われますが、
そんなのは置いておくとして、
ある方が答えてくれました。

「自意識過剰じゃないのですね」




へっっ??






引っ込み思案だったり、人見知りの
人は逆に「相手からどう見られるか、
思われるか」を気にしているので、
自分側の意識が強いのだそうです。

ふ~~~む、なるほど。

育つ過程でそうなる要素が
あったのかもしれません。
だから、引っ込み思案でも
人見知りでも良いのです。

ただ、何か行動を起こす時に
それが足を引っ張ることがあるならば。。

引っ込み思案であること、
人見知りであることのメリットを
考えてみては?

だいたいは自分を守るための
要素だったと思います。

でも、もしかして今は必要ない??

だとしたら、そこからはもう
卒業できるわけですね。
ありがとう、といって。


そしたら次は、、、

堂々と誰かのおうちのリアル茶の間で
じゃんじゃかみかんを食べられる!?笑











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by pikabo | 2015-01-23 06:15 | ノート

テクテク歩いて行くだけ


先日、ある目標を達成したという記事を書いた。
たまには力を抜いて



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本当に自分だけの力では決してできないことで、感謝しかない。ただ、これはあくまで通過点の一つであり、その先にまだまだクリアしたいことがある。だから、うれしいのはうれしいし、素直に祝杯をあげたけれど、翌日からはまた淡々と為すべきことをやっている、という感じだ。

なぜ、そのことをやっているのか?はっきりいって、やらなくたって全然構わない。痛くも痒くもないのだ。だけど、やっている。こればっかりは、本当に自然の流れ、ご縁としか言いようがない。

なぜなら、いくつもの偶然、いわゆるシンクロが重なってしまったからね。「はいはい、わかりました。やりますよ」というのが一番しっくりくる表現かもしれない。それでもいったん決めたからには、一生懸命やる。そしてやるからには頂上からの景色を見てみたい。



実はわたしは、知らない町や路地を歩いたり、知らない人や生き物と交流するのが大好きだ。それも、どこかの有名な観光地ではなく、ただそこにある、ただそこにいる、という日常を。でも、自分の知覚にはないもの。そんなのがたまらなく好きだ。

中でも、自分の生きる場を大切にし、敬意をもって接するのに出会うと、胸がぎゅっと熱くなって、時間が止まる。それは路地裏で道行く人を和ませる盆栽の鉢だったり、家の前を掃除するおばちゃんのお尻だったり、波止場で魚のおこぼれをもらう猫だったり。。

最近はあまり行っていないが、山登りも大好きだ。きっつい登りのあと、頂上からの景色に、すべてを忘れ一体となる。



今やっていることも、それらと大して変わらない。人と関わり、その人の人生という場に少しだけお邪魔させていただく。そこは、本人にとってはあまりにも「日常」なのだけれど、わたしにはやはり未知の格別な世界である。だからこそ、日常を大切にしている人に出会うと感動するのだ。

それは、さらに、次なるひととのつながりを呼ぶ。決して出会うことのなかった人と、いとも簡単につながることができるのだ。またそれは、山の頂きにむけて少し登った、というのと同じようなものだ。一歩ずつ、違う景色をみるのだから。

だから、方法は違えど、やっぱり好きなことをやっているのだなあ、と思う。目の前の人の笑顔は、この登山にとっては何よりの栄養補給だし、頂上でのお弁当も、下山後の温泉も、待っている・・・かな?笑


このあとも、どんな人とどのようにつながり、どんな世界を見せてくれるのか。



なかなか面白いんだな~、なんか知らんけど。











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by pikabo | 2015-01-22 06:20 | ノート

竹布TAKEFU、ご存知ですか?


今日は、かねてから気になっていた(株)ナファ研究所・相田雅彦社長に竹布のお話しを伺ってきました。

竹布とは、100%竹で作られた布のことです。その肌触りはとてもやさしく、そしてとってもあたたかい。一番最初に、社長が繊維の玉を下さり、それを掌にのせると・・・


手から肩にかけて、ぶわーっと気が流れるのが分かります。それと同時にお腹までもが一気に温かくなる。本当に、純粋でストレートで、優しいエネルギーを感じました。

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お話しを伺うにつれ、それもそのはず。。

社長は、竹の素晴らしい抗菌効果に着目し、それをどうにかガーゼにして、医療現場に届けたい、と思ったそうです。2001年のことです。でも、日本の竹ではなかなか繊維にできない。たどり着いたのが、中国・雲南省の昆明付近に生えている、慈竹(じちく)という種類だそうです。

古来から、解毒や消化促進のための漢方薬にも使われていたとのこと。名前からして、中国の方々が大切にしていたのが伝わってくるようですね。

ただ、原料は決まっても、それをガーゼにしてくれるところはほとんど残っていなかったそうです。愛知県の知多半島は、ガーゼの産地として有名なのですが、コストの割に価格の安い医療用ガーゼは、割に合わないとのことでほとんどの生産者がすでに廃業していたとのこと。

それでも、ガーゼでなければ意味が無いと思った社長は、2010年、諦めること無く織ってくれるところを探したそうです。そして、3軒目、もうこれで最後か、と思ったところで、そこの社長が三河弁で「よしやろう」、という意味の「やらまいか」といってくれた。

かっちょええ~~~。゜(T^T)゜。

そうして長い年月かけて完成した竹布ガーゼは、医療現場ではもちろん、重度のアトピーの方にも大変喜ばれているとのことでした。綿のガーゼと違って、傷口にひっつくことなく剥がせる。守り布という名前も頷けますね。

お坊さんではありませんよ。飛行機の中での
竹布ショール利用法を実演中の相田社長。笑

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とにかく、一度さわるとその柔らかさ、優しさ、あたたかさにびっくりします。わたしも、今日は数点購入しました。徐々に、アイテムを増やして行きたいな、と思っています。

それに何より、社長の思いがとってもステキです。優しい声と話し方もゆったりステキなので、お昼ご飯を目一杯食べた身には心地良過ぎでしたが。。

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竹布製品を作るにあたっては、まだまだ歩留まりが悪いので、どうしても残布やB品が出てしまいます。今度は、それを板橋区の知的障がいのある施設の皆さんが、TAKEnokoというお人形に仕立て、病気の子どもに届けたり、脳血管系の病気で拘縮のあるお年寄りなどに使ってもらおう、という循環の流れを作っておられます。そのために設立された一般社団法人空飛ぶ竹ガーゼ社では、お人形つくりのワークショップなどもされています。


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わたしも、会員になって、この竹布を広めたいな、と思いました。本当に、心地良いし、社長の思いに共鳴するからです。とにかく、機会があったら一度手に取ってみてください。その思いがきっと、伝わってきますよ♬

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(株)ナファ研究所
(社)空飛ぶ竹ガーゼ社


====


今日は、お昼にナファの近所、高瀬さんでいただいたかき揚げ丼の大きさにびっくりしたり、

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そのあと立ち寄ったステキなYoyogi Villageの中庭で顔のある木に遭遇したり

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寒かったけど、ココロはほっこりあたたかくなった、充実の一日でした。こんな出会いに恵まれること、本当に本当に有り難い限りです。相田社長の思いとともに、このご縁を循環させて行こう、と改めて思った帰りの電車でした。










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by pikabo | 2014-11-08 21:00 | ノート

母親の一周忌を迎えて


2014.11.1(土) 


母親が静かに息を引き取ってから丸一年。あっという間だ。
  
その時は、すぐに火葬とはいかなかったので、母親は病院から1年ぶりに戻り、実家で4日間過ごした。
 
葬儀は家族内々で執り行う予定でいたから、家にいる間、近所の方や親戚、知人、たくさんの方がお別れに来てくれた。まるで、生前お茶を飲みにくるような感覚で。
 
ヌシのように入り浸っていた、近所のコミュニティセンターの文化祭でもあり、その帰りに立ち寄って下さる方も多くいて、家族はこの日を絶対に狙っていたね、とも話していた。
 
お客様とは、「えんちゃん、元気~?」「まあ、あがってお茶飲んで行きなよ」という、いつも交わされていた会話が聞こえるようだった。
 
その顔は、病院にいたころよりツヤツヤで、本当にニッコリ、いや、ニンマリ笑っているように見えた。まるで夢でも見ながらぐっすり眠っているだけのように。
 
だからか、姪っ子とばあちゃんも良く知っている姪の友達は、平気でばあちゃんが寝ている前のソファで、深夜まで笑い喋りまくっていた・・・あの、いちお、ご遺体なんですけど!?(^_^;)
 
彼女たちは、年老いて死を迎えることが自然であることを、無意識に受け入れたのではないかな、と、楽しそうに喋っているのを見て思った。
 
訪れた方々は、顔に触れ、髪をなで、そしていろんな話しをしてくれた。
 
コミセンで習っていた社交ダンスの発表会では、必ず先生に花束を贈っていたこと、事情があって親と一緒に暮らせない子どもを預かる施設には毎年クリスマスにお菓子を届けていたこと、祭りには金一封かお酒を欠かさないこと。。
 
間違いなく入院している時に、「家の前を通りかかったら、お母さんが家にいたから窓越しでしゃべったよ、元気そうだった」というありえない話しもあった。魂が留守番をしていたのだろう。それとも、かくれてタバコを吸いに来ていたのか?
 
数え上げればキリがないくらい、たくさんのエピソードの持ち主だった。
 
ま、だいたいの方は「きついけど、間違ったことは言ってなかった。あれだけはっきり言ってくれるヒトは、とても貴重だ」という意見だった。いやな思いをしたヒトも多いとは思うけど、それはそれ。知ったこっちゃない!(母親の口グセ)



そして今、こうして父や母の来し方を振り返るに、「いや、結構自由に奔放に生きてらっさいましたね、あの方々」と思う。。そしてその血はまぎれも無く受け継がれている。ヤバい。笑

家で見送るのは大変だし、家族への負担も大きい。でも、ヒト一人の存在は、単なる家族にとってのものではなく、時代、地域、社会というものとの関わりであったのだ、ということも良く分かった。だから、家族だけでなく、地域、社会にもお別れの儀式は必要なのだ、とも。。
 
そして、4日間を過ごして、来客の方々をお迎えすることで、家族は母親を送るいろんな意味での準備もできたのだと、しみじみ思う。

どちらかというと父親っ子で、母親とはぶつかってばかりいたが、最後にこんな娘孝行をしてくれたのだね~。ばあちゃん、やるじゃん、ニクいね!そして、ありがとさんでした!!
 
「れいちゃんはケチだけど、私が死んだらお花だけはケチってくれるな」とそればかり心配していたので、葬儀の時同様、今日はお花をたくさん飾ってあげよう。ケチだけど実はやさしい娘より。:*:・(‾∀‾)・:*:

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by pikabo | 2014-11-01 07:46 | ノート

探せばセカイは美に溢れてる



うん、新しい季節が始まったね


愛しい朝
愛しい日々




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あそこにも、ここにも美は隠れている
ひっそりと・・・


案外そんなものかもね



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どこにでも
誰にでもある


本物の美



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by pikabo | 2014-09-02 12:35 | ノート

この年まで知らなかった。。


実は昨日53の誕生日を迎えました。
自分の年齢にもびっくりですが、

さらにびっくりなことに、
FBやLINEでたくさんの方が
お祝いメッセしてくれました。

返信するのも楽しかったです。


しかし、
まさか自分がそんな人だったとは。。

どちらかというと、ドライでサバサバ
していて、そういうの苦手かと
思っていたら、、



うれしぃいい~~ヽ(゜▽、゜)ノ




ぢゃ、ありませんか!

それに最近、色んな人からレーコ評を
いただくようになり。。

どうやら、ワタクシは

人が好き。
世話好き。
面倒見が良い。

ようなところがあるらしく。
(母親と同じじゃん!に気づいて
驚愕しております、今さら・・・)


ま、義理人情系ですな。

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なので、この誕生日をきっかけに
もう逃げも隠れもいたしません。

さらに自分らしく、
心地良く、
人情に厚く!?

やんちゃ道を邁進する所存でおります。

こんなわたくしを今後ともごひいきに、
どうぞよろしくお願いいたします。











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by pikabo | 2014-08-23 11:49 | ノート

自分の家って・・??

ちょっと所用で灼熱タウン@東京に
おりましたが、
やっと八ヶ岳に戻って参りました。

いや~、涼しいです。。。

わんこたち、今宵は眠れます。
あ、ワタシでした。一番眠れるの。。
(ええ、夕べは眠れませんでしたがな
in Tokyo 熱帯夜... )



ところで、先日、聞かれました。

東京と八ヶ岳、どっちが
自分の家って感じ??

・・・



えっとね~。どっちも
着けば戻った、なんだけど、
結局は自分の家じゃない、って感じ。

住処ではあるのだけど。。


難しいのです、この感覚をお伝えするの。

今までで、一番「家」って感じたのは
もしかしてオーストラリアでテント暮らし
していた時かもしれない。。



・・・

25年前、バックパックでオーストラリア~
アジアをずっと歩いていた時。

間違いなく「たびびと」なのに、
ここはふるさと。。
って思うところもあった。

それは何だと考えたら。。


たびびとである、わたしたち
外の風を受け入れてくれるところ。


あとは、息ができるところ。



そうなのだ。たびびとなんて、
ただの風のようなものかも知れない。

でも、風があるから暮らしは成り立つ。




それに、人の一生なんて、
旅のようなもの。
そこには風が必ずある。


「風」としてある自分。
「風」を受け入れる自分。






どっちもありやな~~、
と、思った八ヶ岳クールナイト。。
:*:・(‾∀‾)・:*:











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by pikabo | 2014-08-03 22:54 | ノート

満ちるのをやめた月


マチでは

相変わらず宴が続いていた


日が落ちて闇があたりを支配してもなお

まばゆく輝き続けるその姿に

ヒトは本物の夜を忘れつつあった


目の前のきらびやかな光は

あたかも天空を彩る星座のようでもあり

それは星々のかけらを見上げる

純粋なココロをも覆い隠していった


月は

いにしえより満ち欠けを繰り返し

夜ごと地をやさしさで包んでいた


ヒトはそれを

コヨミとして暮らしに取り込み

父なる太陽と母なる月に

深く抱かれて生きていた


賢明なるモノは

そのはからいに畏れと敬いを持って接し


月が姿をかくせば

静かに祈りを捧げ


煌々とあたりを照らせば

それを祝い


満ち欠けのドラマを

自らのイノチに重ね合わせていた


しかし、いつしか昼と同じ明るさを夜に得た人々は

もはや誰も月の満ち欠けを気に留めなくなった


月は、淋しかった


それでも辛抱つよく闇夜を照らし続けた


だけれど

どんなにときを重ねても

誰ひとり月の思いにきづくことはなかった


月は語りかけることばを失い

姿をかくしたのち

再び満ちることを、



やめた





それからずっとたったある時、

地上の三日月の島が激しくゆれた


決して裂けることがないといわれていた

大きな塊はあっけなく口を開け

恐ろしい姿があらわれた


巨大な光はそらまで届いた

月は、見ていた


大きな塊は月が満ちるのをやめて久しく

あたかも月の代わりであるかのように

夜になると地上をくっきりと浮かび上がらせ

人々は完全に闇を支配したと思っていた


しかし、それはまぼろしだった


完全なるマチはことごとく瓦礫と化し

人々は味わったことの無い混乱にいた


そして、夜になってはじめて気づいた


月が、無い


大きな塊がもたらしていたかりそめの光はおろか

当たり前にあったはずの月までがどこにも見当たらない


人々は、やっと、気がついた


月は、満ちるのを、やめていた


闇はどこまでもまとわりつき

もがくほどその奥底に沈められていく


おとなたちはなすすべを失い

呆然とたちすくみ

それまでの宴の日々を

ココロの底から悔やんだ


悔やんでも悔やんでも足りなかった


そんな時、つよい瞳の少女が立ち上がり


ちいさな声でいった


そうだ、月は欠けては満ち、満ちては欠けると聞いた

今日はもっとも欠けている夜に違いない

これから満ちてくる

かならず、満ちてくる


その声はまっすぐに月にとどいた


しばしのためらいののち

月は、少女の瞳のともしびに応えた


今から、また満ちる


月はそれからのち

再び満ちることを

決してやめなかった




Fin










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by pikabo | 2014-07-02 20:36 | ノート

名前のシンクロ−明維子と鈴維子


先日、青山のTAMAサロンで
お目にかかった、杉田明維子さん。

(写真一番右の方)

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とってもステキな絵を描かれる
画家さんです。


この日は、たまたま清水浦安さんの
絵本『地球にそっくりな不思議な地球』
の原画を担当された、作宮杏奈さんの
原画展をやっているというので、
わたしは友達について行ったのでした。


そこにいらしたのがお母様の
杉田明維子さん。

しばらくお話しをして、杉田さんの著書
『しあわせな青い鳥はあなたの中に」
を手に取ってみたら。。

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お名前のシンクロにびっくり!

私の名前は「鈴維子」れいこ。
いまだかつて、同じ名前の人に
出会ったことはありません。

「維」の字を使う人も今までに
「維子(つなこ)」さんただお一人。

でも、
「明維子(あいこ)」さんと
「鈴維子」はもっと近い。

とっても親近感を覚えました。

それにこの本は、般若心経を
独特な感性の文と絵で表現したもの。
本当にステキなんです!

『観自在内在仏』
すべての人の中に
あなたの中に
ほとけさまが存在している
自分の中にある仏さまを
見てご覧。

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ああ。そうなのだよね。
すべては自らの内に。

どの絵も文章も響くのですが、
特に「おわりに」にあった一文
にも心うたれました。

宇宙から見たら、善いも悪いも
コインの裏表、表裏一体です。
価値観を手放し、できるだけこころを
空っぽにして、自分の中の仏さま、
神さまに近づけたら、無尽蔵の
宇宙の知恵が私たち一人ひとりに、
宝物が降り注いでくるのだと思います。


流れに身を任せると、
こんなステキな出会いに恵まれる。

やっぱり、わたしはアートが好きだし
アーティストとの会話はとても
しっくりきます。

思考回路を経由せずとも
会話が成り立つ、とでも言いますか。。



これからは
もっともっと自分の内なる声に
耳を傾けて、正直に生きよう。

明維子さんと本との出会いが
忘れがちになっていた
何かを思い出させてくれました。











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by pikabo | 2014-06-23 09:05 | ノート