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母親の一周忌を迎えて


2014.11.1(土) 


母親が静かに息を引き取ってから丸一年。あっという間だ。
  
その時は、すぐに火葬とはいかなかったので、母親は病院から1年ぶりに戻り、実家で4日間過ごした。
 
葬儀は家族内々で執り行う予定でいたから、家にいる間、近所の方や親戚、知人、たくさんの方がお別れに来てくれた。まるで、生前お茶を飲みにくるような感覚で。
 
ヌシのように入り浸っていた、近所のコミュニティセンターの文化祭でもあり、その帰りに立ち寄って下さる方も多くいて、家族はこの日を絶対に狙っていたね、とも話していた。
 
お客様とは、「えんちゃん、元気~?」「まあ、あがってお茶飲んで行きなよ」という、いつも交わされていた会話が聞こえるようだった。
 
その顔は、病院にいたころよりツヤツヤで、本当にニッコリ、いや、ニンマリ笑っているように見えた。まるで夢でも見ながらぐっすり眠っているだけのように。
 
だからか、姪っ子とばあちゃんも良く知っている姪の友達は、平気でばあちゃんが寝ている前のソファで、深夜まで笑い喋りまくっていた・・・あの、いちお、ご遺体なんですけど!?(^_^;)
 
彼女たちは、年老いて死を迎えることが自然であることを、無意識に受け入れたのではないかな、と、楽しそうに喋っているのを見て思った。
 
訪れた方々は、顔に触れ、髪をなで、そしていろんな話しをしてくれた。
 
コミセンで習っていた社交ダンスの発表会では、必ず先生に花束を贈っていたこと、事情があって親と一緒に暮らせない子どもを預かる施設には毎年クリスマスにお菓子を届けていたこと、祭りには金一封かお酒を欠かさないこと。。
 
間違いなく入院している時に、「家の前を通りかかったら、お母さんが家にいたから窓越しでしゃべったよ、元気そうだった」というありえない話しもあった。魂が留守番をしていたのだろう。それとも、かくれてタバコを吸いに来ていたのか?
 
数え上げればキリがないくらい、たくさんのエピソードの持ち主だった。
 
ま、だいたいの方は「きついけど、間違ったことは言ってなかった。あれだけはっきり言ってくれるヒトは、とても貴重だ」という意見だった。いやな思いをしたヒトも多いとは思うけど、それはそれ。知ったこっちゃない!(母親の口グセ)



そして今、こうして父や母の来し方を振り返るに、「いや、結構自由に奔放に生きてらっさいましたね、あの方々」と思う。。そしてその血はまぎれも無く受け継がれている。ヤバい。笑

家で見送るのは大変だし、家族への負担も大きい。でも、ヒト一人の存在は、単なる家族にとってのものではなく、時代、地域、社会というものとの関わりであったのだ、ということも良く分かった。だから、家族だけでなく、地域、社会にもお別れの儀式は必要なのだ、とも。。
 
そして、4日間を過ごして、来客の方々をお迎えすることで、家族は母親を送るいろんな意味での準備もできたのだと、しみじみ思う。

どちらかというと父親っ子で、母親とはぶつかってばかりいたが、最後にこんな娘孝行をしてくれたのだね~。ばあちゃん、やるじゃん、ニクいね!そして、ありがとさんでした!!
 
「れいちゃんはケチだけど、私が死んだらお花だけはケチってくれるな」とそればかり心配していたので、葬儀の時同様、今日はお花をたくさん飾ってあげよう。ケチだけど実はやさしい娘より。:*:・(‾∀‾)・:*:

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by pikabo | 2014-11-01 07:46 | ノート
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